”ハノイ・ヒルトン”は最恐怖観光地”ホアロー収容所”の別名

近代的な高層ビル

ハノイタワーの横に

取り残されたかのように

存在している

「ホアロー収容所」。


「ハノイ・ヒルトン」

という別名に

なおさら興味が湧いた。


宿泊先が

「ヒルトン・ハノイ・オペラ」

だからかなぁ(笑)。

連れのお姉さんは

入国前に予約したスパで

お寛ぎ中。

ググってみると

近い!近い!

ひとり、ササっと

「ハノイ・ヒルトン」に

行ってみよう。

館内入り口は、

私好みの黄色で、

アーチ状に

メゾン・セントレールとある。


これを見て

誰が収容所を

想像するだろう。

切符を渡し入場すると、

順路のサイン。


おひとりさま観光でも

決して迷うことはあるまい。

なぜ「ハノイ・ヒルトン」と

呼ばれるのか。

その理由が明かされるまでの

道のりは、

決して短くはなかった。

どんより曇った空は

湿度たっぷりの空気を生む。

なんとも息苦しい。


建物の中は

窓が小さく

照明もほとんどない。


重々しい雰囲気に包まれ

ひんやりした館内の

間口の狭い出入り口を

恐る恐る

一歩ずつ丁寧に

歩いてまわる。

いかにも博物館のような

展示室には、

当時使われていた食器が置かれていたり、

着用していた衣服が吊るしてあったり。

収容所が建てられる以前は

陶器を作る村であったことを

伺わせる絵画や文献もある。

いくつかある集団房では

足首にはめられた足枷で

繋がれている収容者が

蝋人形で再現。

真っ暗でわけわからず

なんだ?と思うもつかの間、

独房であった。

重い鉄製ドアを開けると、
上方の小さな窓からの
太陽が有り難い。

下方には

足枷。

一旦、外に出ると、

説明がなければ

これが一体なんなのか

全くわからなかったものが

展示されていた。

収容者が脱走に使った

地下下水道だった。

こんなに

細くて狭いところを!

南ベトナムの「クチ」と同様

ここでも

計り知れない

ベトナム人の根性を

感じ取った。

お土産物店を通り過ぎ、

次の展示室に入っていく。

実際に処刑に使われた

ギロチン台は

見上げるほどで、

iPhoneでも

全景が収まるか?

まさか!

女性や子供までが

収容されていた。

彼女達の目から、

闘志にあふれた

活動家であろうことを

想像させる写真。

展示室の

隅に置かれていた

竹製でできたものは、

写真で見たものでは

ないか。


写真や映像だけではなく、

拷問器具や処刑器具の展示が
なお一層、

現実を物語っていた。

1896年、
フランスの植民地ベトナムで
政治活動を行うベトナム人を
収容する目的で
フランスが建設した
「ホアロー収容所」は、
第二次世界大戦中、

日本の支配下にあった時期があるにせよ、

インドシナ戦争で
フランスに勝利する1954年まで
その機能を果たしていた。
敷地内で
スポーツに勤しむのは誰?
ベトナム戦争中、
捕虜となった米兵の

収容施設に変わっていた。

 「ホアロー収容所」が
別名、「ハノイ・ヒルトン」と
呼ばれる所以である。
敷地内ではスポーツ。
室内ではゲーム。

捕虜?

彼らの笑顔は

どこから生まれるのか。


きっと、この謎解きこそが,

日本では劇場公開されていない

映画「ハノイ・ヒルトン」に

あるに違いない。

もう5年前にはなるが、

CNNで東南アジア5大恐怖観光地の1位に

「ホアロー収容所」が

選ばれている。

日本人は訪れないのか?

日本語のツアーはないのか?

全く日本人に出くわすことなく、

全く日本語を耳にすることなく、

ひとり、出口をあとにした。


トランプ氏と金正恩氏の

会談場所であった

植民地時代の伝統を継承する

優雅な雰囲気を残す

格式あるホテル内の

エステの施術を受け

ご満悦であろうお姉さんのもとへ

向かった。

帰国して

見つけた新聞記事をひとつ。


歴史を学ぶことの意義を
再認識させられた、
「おひとりさまササっと観光」
であったなぁ。

0コメント

  • 1000 / 1000